NHK「シルクロード謎の民~タクラマカン砂漠 楼蘭の末裔」から
かつてNHKのシルクロードシリーズは、異国情緒あふれる風物が中心と思っていましたが、久々に見たこれは、人間ドラマが主軸だったのでびっくりしました。
タクラマカン砂漠のど真ん中、新疆ウィグル自治区にすむ、古王国「楼蘭(ろうらん)」の末裔といわれる、古風な暮らしをつづけるオアシスの人々についてのドキュメンタリーでした。
子ども達は小学校4年になると、オアシスを出て、240㎞はなれた街の寄宿学校に入ります。
夏休みに帰っていた子ども達が、学校へ戻るという日のことです。盲目の父親があらわれました。出発する娘がトラックに乗るのを見送りに来たのです。
子どもたちがトラックの荷台に乗ると、やおらその盲目の父親は、杖を抱えたまま荷台の柵によじのぼり始めました。それから、必死に荷台の床を手のひらで叩いて探ります。彼のまだ小さい娘の足が、その固い床にじかにおかれているのを確かめると、父親は叫びました。
❝これでは固すぎる。街へ着くまでに、必ず耐えられなくなります❞
子ども達はみな、むきだしの固い床に、じかに腰をおろしていたのです。街までは1日がかりです。連れて行ってくれる運転手は、❝毛布がありますが…❞というものの、動いてくれそうにありませんでした。
❝立って! みんな、さあ、立つんだ!❞父親は、叫びました。
子どもたちはそろそろと立ち上がり、全員が立つまで父親は叫びつづけました。運転手は、ついに毛布をとりだすと、子ども達の足元にそれを広げ始めました。
ぼろぼろの古布団でしたが、綿入りの厚いものでした。その感触を手で触って確かめると、父親はようやく柵から手をはなして降りました。
240㎞をトラックの荷台で揺られる、という旅も、たしかに、これで少しは楽になるだろうと思われました。
子ども達の家族はみなトラックを見ているのに、その盲目の父親だけが、よじのぼって床の固さを手探りでたしかめ、声を上げたのです。
彼はオアシスでの日雇い仕事でなんとか一家を養い、その中から街にいる娘のために、日本円にして月5,000円を仕送りします。
その娘は、❝勉強して大学まで進んで医者になり、父親の目を治してあげるのが夢だ❞と言っていました。
中国から来たとある父親
これもNHKのドキュメンタリーでしたが、すでにタイトルはわからないので、中国から来たとある父親の話としてご紹介します。
日本で学びながら働けるという中国の仲介業者の話を信じて、借金までして来たのに、その職業学校はイカサマで、結局、不法就労者として日本に滞在することになったのです。
中国にいる妻と娘に、生活費と学費を仕送りしなければならなかったからです。
いつ不法就労がばれて辞めさせられても、すぐ次の仕事に就けるように、日本での技能資格を、両手の指でも足りないほど取得していました。銭湯代を節約するため、大家にないしょで部屋の隅にビニールシートで囲いを作り、ガスコンロで沸かした湯で体を洗っていました。
渡航費も節約して一度も帰らなかったため、妻には日本に女がいるからだと疑われ、娘も、日本経由でアメリカの大学に入るためトランジットを利用して父親のアパートに一晩泊まったときも、父親とほとんど言葉を交わしませんでした。
そんな報われない日々がその後も6年間つづきました。アメリカの大学に行った娘がメディカルスクールを終え、医師免許を取得した日でした。ついに父親は帰還できることになりました。もう娘の学費とアメリカでの生活費を仕送りする必要がなくなったからです。妻は国の地元で小さな食べ物屋を始めていて、何とか暮らせそうでした。
15年ぶりに国へ帰るという日でした。飛行機に乗った父親は、何も変わらぬ表情で、窓の外の景色が動き出すのを見ていました。
飛行機が地上を離れた、その瞬間でした。父親はとつぜん口を押さえ、声を殺し、吠えるように泣き始めたのです。
ナレーションもテロップも入りませんでした。父親が家族のために、異国で働いた15年という歳月が、見ている者の胸をえぐりました。
❝父は本当は、こんなにまでしてくれる必要はないんです。❞
アメリカへ渡るときに娘さんが目を赤くして一言つぶやいたのが、話さなくても誤解があってもこの家族はじつはお互いをわかっているのだ、ということがうかがえたことが、最後のハッピーエンドまでもちこたえるための、見る者にとっての救いでもありました。
父性愛というもの
『秘密の花園』の作者バーネットは、じつはこの物語を、父性というものを表現するために書いた、というようなことを、文庫本の後書きで読んだことがあります。
意外ですが、たしかにこの物語は、田舎の大きな屋敷で妻亡きあと、抜け殻になった父親が、遺された息子をもういちど抱きしめられるようになるまでのお話でした。
単身赴任が長かったことと、エンジニアだったこともあって、私の父は愛情を示すのがうまくなく、「いちばん端にいて、だれか落っこちそうになったら、俺はそれを防ぐんだ」と、まるで『ライ麦畑でつかまえて』のような台詞が父から出たのを、いちど聞いたことがありました。
父の死後、あまり年数をおかず病で早く逝った兄のさいごのときにも、そうでした。こちらとあちらの境目という、直前まで生きていた者にはまったく不慣れなその場所で、息子が1秒も迷わずにすむようにと、父が祖母とともにそこに来て、魂が体を離れるその瞬間、両側から兄の腕をすくいとり、そのままいっしょに歩いていってくれたように感じられました。
母性愛とくらべて語られることの少ない男親の愛ですが、たとえるなら、「炭火」という気がします。世界の果ての円盤の端からだれも落っこちることがないように、目立たないけれど、じんわりとしたあたたかさで、そっと端を押さえている、そんなふうに思えるのです。